日常レポート
2008.12.05
101年目の駅
今日の午後はこの季節にはめずらしく冬の嵐でした
昨日の枯れ葉はどこか遠くへ行ってしまいました
写真に写る二子玉川駅前周辺は、現在再開発が進み、大きな変貌を遂げようとしています。
今年で101年目・・
長い歴史の中で、ここ二子玉川駅には数えきれない人たちが、この駅に降り立ち、そしてまた旅立ち、きっと様々なドラマがあったに違いありません・・・
今日はその【二子玉川駅】をご紹介いたします。
明治40年に玉川電気鉄道(玉電)が開通し、終点の玉川駅がこの地にできると、さらに川沿いに料亭や旅館が立ち並び、また、観光鮎漁や鵜飼など、川遊びの店も軒を連ね始め、二子玉川は行楽地へと変化していきました。玉川遊園地やプール、テニスコートなどが建設され、花火大会の開催が始まったのもこのころです。玉電建設の最大の目的は、多摩川の砂利を採取して都心で販売することでした。日清戦争後の好景気に沸いていた当時、都心部ではビルの建築や道路の整備が進み、砂利や砂が多く必要とされていたのです。
また、大正12年に起きた関東大震災の後には、復興のためにさらに大量の砂利が必要となりました。この需要を背景に、多摩川に二子橋が架けられ、玉電はさらに溝ノ口まで延伸。当時が、二子玉川における砂利産業の最盛期でした。旅客用電車が砂利運搬用の貨車を牽引して走るようすから、当時の人々は玉電を“ジャリ電”という愛称で呼んでいたそうです。
【写真・文章協力/玉川郷土史会会長池田良夫氏/東京生活別冊/二子玉川本より】
今はもう玉電は消え 走る電車は地面でなく
高架橋から人々を見下ろし 晴れの日も雨の日も
ガタンゴトンと音をたてて 多摩川を渡っていきます
◆乗降人員 -統計年度- (田園都市線/大井町線)101,583人/日 -2007年-
◆1907年 4月 1日 玉川電気鉄道(後の東急玉川線)玉川駅として開業してから
よみうり遊園駅~二子読売園駅~二子玉川駅~二子玉川園駅~
4回も駅名が変わっていて・・2000年 8月 6日 二子玉川駅と5回目の改名を行い、現在に至る。
~夜、高架橋の上にある駅は、
多摩川河川敷から見ると、幻想的に浮かび・・・
列車はまるで夜空から、降りてくるように見えます。
その煌めく列車の姿は、またの機会で~ ☆【A station of the 101st year】