日常レポート
2009.09.14
田園と明日
「・・ゴトゴトゴトと揺れながら見える田園風景,, ,今はもう見る事はできない,, 」
「玉電」とは、東急(東京急行電鉄)の軌道線であった「玉川線」の愛称です。東京の西南部、渋谷から二子玉川園まで、玉川通りの上をごろごろ走っていたこの愛らしい路面電車のことを、人々は親しみを込めて「たまでん」と呼んでいました。
写真はアルタクラッセから徒歩1分にある、「そば処大勝庵」を撮影した風景です。
左が昭和30年代、右が現在の風景です。※50年前は大勝庵さんもありませんでした。映る電車は、砧線の車両です。約50年前は、まだまだ田園風景が広がり、東京23区内とは思えない、のんびりしたムードがただよっていたそうです。【※写真提供者/そば処大勝庵主人大塚勝利さん笑顔生活vol2より】
■砧線・・・大正13年(1924)には、玉川・砧(後の砧本村)間に開通した路面電車。元々は玉川の砂利採取線として敷設された、全線単線、専用軌道の路線で、わずか2.2kmの区間を、単行の電車がのんびり往復していました。→昭和44年(1969)5月10日、多くの人々に見送られながら、「玉電」はその60年余りの生涯を閉じたのです。現在唯一残っている、三軒茶屋・下高井戸間の支線(現在の世田谷線)以外の全ての玉電は消えてしまいました。
「・・・どんなに風景が変わろうとも、人の心は明日へと紡いでいく,, ,」